20240501 Wajima Lacquerware 003

Haruo Nakamiya checks lacquered bowls for dust and other particles. (©Sankei by Kazuya Kamogawa)

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「いくつもの奇跡が重なった」

 

3カ月ぶりに手に持つはけが朱色に塗り上げると、素朴な器が光沢を放ち始めた。

 

能登半島地震で多くの漆器店や工房が被害を受けた石川県輪島市の伝統工芸「輪島塗」。存続が危ぶまれるなか、いち早く避難先から輪島に戻り、工房を構え直して、製作再開にこぎ着けた職人がいる。

 

蒔絵師の新出昭宏さんが重箱に金粉を蒔く=石川県輪島市(鴨川一也撮影)

 

朝市で漆器の製造と販売をしていた「塗太郎」の社長で上塗り職人の、中宮春男さん(68)だ。従業員や家族は無事だったが、自宅や工房、3つの蔵などが全焼。商品や製作道具も全てが燃えてしまい、途方に暮れていた。再起のきっかけは知り合いの漁師からの一言だった。

 

震災から1カ月後、全焼した自宅や工房の様子を見に来た中宮春男さん。宿泊施設を併設し、より深く輪島塗を体験できるようにと計画していたときの地震だった=2月1日(桐原正道撮影)

 

「塗りもんくらいなんとかなるやろ」

 

漁師も港の隆起によって船が出せなくなっていた。自分は体は無事、道具と場所さえ確保できれば-。

 

中宮さんは動き出した。

 

朝市には無理でも、輪島には戻らなくてはいけない。年間を通じて湿度が安定している輪島が漆器づくりに適した風土だからだ。海から離れた高台に、工房にできそうな一部損壊の物件が見つかった。

 

丁寧に塗り上げた椀(わん)を「風呂」と呼ばれる戸棚に入れる中宮春男さん。「命ある限り、塗り続けていきたい」と語る=石川県輪島市=5月1日(鴨川一也撮影)

 

しかし、欠かせないものがもう一つあった。「風呂」と呼ばれる杉板でできた漆器を乾かすための戸棚だ。現在は作れる職人も少なく、発注できたとしても完成までに数年かかってしまう。つてを頼って探し回ると、廃業した職人から数十年間眠っていたものを譲ってもらえることになった。

 

県外に避難していた職人を呼び戻し、4月中旬から製作を再開。運び込んだ「風呂」に囲まれ、「落ち着くし、素直になれる。また人のために作り続けていける」と先を見据える。

 

元日の震災で変わり果ててしまった漆の里、輪島。諦めることのない職人たちの手で、新しい歴史が塗り重ねられていく。

 

椀に漆を塗る中宮春男さん=石川県輪島市(鴨川一也撮影)

 

筆者:鴨川一也(産経新聞写真報道局)

 

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